大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和59年(オ)415号 判決

上告人

渡辺令子

右訴訟代理人弁護士

斉藤展夫

寺島勝洋

仁藤峻一

関本立美

木村康定

加藤啓二

安田叡

松井繁明

荒井新二

石井正二

小山久子

飯田幸光

星山輝男

白垣政幸

高橋融

藤本齊

渋田幹雄

松村文夫

小笠原稔

大塚武一

武井共夫

鈴木宏明

被上告人

東京電力株式会社

右代表者代表取締役

那須翔

被上告人

亡齋藤忠司訴訟承継人齋藤恵美子

被上告人

齋藤肇

被上告人

中野節子

被上告人

河島久枝

右五名訴訟代理人弁護士

河村貞二

右当事者間の東京高等裁判所昭和五六年(ネ)第一七八六号損害賠償請求事件について、同裁判所が昭和五九年一月二〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人斉藤展夫、同寺島勝洋、同仁藤峻一、同関本立美、同木村康定、同加藤啓二、同安田叡、同松井繁明、同荒井新二、同石井正二、同小山久子、同飯田幸光、同星山輝男、同白垣政幸、同高橋融、同藤本齊、同渋田幹雄、同松村文夫、同小笠原稔、同大塚武一、同武井共夫、同鈴木宏明の上告理由第一点、第二点、第五点ないし第一〇点について

一  原審の確定した事実関係は、おおむね次のとおりである。

1  被上告人東京電力株式会社塩山営業所(以下「本件営業所」という。)の公開されるべきでないとされている情報が、ひそかに外部に漏れて日本共産党(以下「共産党」という。)の機関紙「赤旗」の昭和四八年一二月二八日付け紙上に報道されたことから、当時、本件営業所の所長であった第一審被告・控訴人亡齊藤忠司(昭和六二年三月二九日死亡により、被上告人齋藤恵美子、同齋藤肇、同中野節子、同河島久枝が本訴を承継した。以下「亡齋藤」という。)は、本件営業所の責任者として右報道記事の取材源につき調査の必要を認め、本件営業所の従業員の中でかねてから共産党の党員ないしその同調者であると噂の高かった訴外名取純一又は上告人以外に他に右取材源となる者はいないとの判断に基づいて、まず名取から昭和四九年一月二五日に事情を聴取し、次いで同年二月一五日に上告人から事情を聴取することにした。

2  亡齊藤は、同日午前八時五〇分ころ、上告人を本件営業所の応接室に呼び、二人だけで約一時間にわたる話合い(以下「本件話合い」という。)をし、その比較的冒頭の段階で、上告人が共産党員であるかどうかを尋ねた(以下この質問を「本件質問」という。)が、これに対し上告人は、共産党員ではない旨の返答をした。そこで、亡齋藤は、さらに、上告人に対して上告人が共産党員ではない旨を書面にしたためることを求めた(以下この要求を「本件書面交付の要求」という。)ところ、上告人は右要求を断る態度に出た。しかし、亡齋藤は、右書面を作成することの必要性などをいろいろ説いて右要求に応じさせようと、再三にわたり話題を変えて上告人の説得に努め、本件書面交付の要求を繰り返したが、上告人はこれを拒否して退室した。なお、本件質問及び本件書面交付の要求には強要にわたるところがなく、また、本件話合いの中で、亡齋藤が、上告人が本件書面交付の要求を拒否することによって不利益な取扱いを受ける虞のあることを示唆し、あるいは上告人が右要求に応じることによって有利な取扱いを受け得る旨の発言をした事実はなかった。

以上の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、是認することができ、その過程に所論の違法はない。

二  右事実関係によれば、亡齋藤が本件話合いをするに至った動機、目的は、本件営業所の公開されるべきでないとされていた情報が外部に漏れ、共産党の機関紙「赤旗」紙上に報道されたことから、当時、本件営業所の所長であった亡齋藤が、その取材源ではないかと疑われていた上告人から事情を聴取することにあり、本件話合いは企業秘密の漏えいという企業秩序違反行為の調査をするために行われたことが明らかであるから、亡齋藤が本件話合いを持つに至ったことの必要性、合理性は、これを肯認することができる。右事実関係によれば、亡齋藤は、本件話合いの比較的冒頭の段階で、上告人に対し本件質問をしたのであるが、右調査目的との関連性を明らかにしないで、上告人に対して共産党員であるか否かを尋ねたことは、調査の方法として、その相当性に欠ける面があるものの、前記赤旗の記事の取材源ではないかと疑われていた上告人に対し、共産党との係わりの有無を尋ねることには、その必要性、合理性を肯認することができないわけではなく、また、本件質問の態様は、返答を強要するものではなかったというのであるから、本件質問は、社会的に許容し得る限界を超えて上告人の精神的自由を侵害した違法行為であるとはいえない。さらに、前記事実関係によれば、本件話合いの中で、上告人が本件質問に対し共産党員ではない旨の返答をしたところ、亡齋藤は上告人に対し本件書面交付の要求を繰り返したというのであるが、企業内においても労働者の思想、信条等の精神的自由は十分尊重されるべきであることにかんがみると、亡齋藤が、本件書面交付の要求と右調査目的との関連性を明らかにしないで、右要求を繰り返したことは、このような調査に当たる者として慎重な配慮を欠いたものというべきであり、調査方法として不相当な面があるといわざるを得ない。しかしながら、前記事実関係によれば、本件書面交付の要求は、上告人が共産党員ではない旨の返答をしたことから、亡齋藤がその旨を書面にするように説得するに至ったものであり、右要求は、強要にわたるものではなく、また、本件話合いの中で、亡齋藤が、上告人に対し、上告人が本件書面交付の要求を拒否することによって不利益な取扱いを受ける虞のあることを示唆したり、右要求に応じることによって有利な取扱いを受け得る旨の発言をした事実はなく、さらに、上告人は右要求を拒否した、というのであって、右事実関係に照らすと、亡齋藤がした本件書面交付の要求は、社会的に許容し得る限界を超えて上告人の精神的自由を侵害した違法行為であるということはできない。

したがって、右確定事実の下において、上告人につき所論の不法行為に基づく損害賠償請求権が認められないとした原審の判断は、これを正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法があることを前提とする所論憲法及び国際人権規約違反の主張は、失当である。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決を正解しないでその不当をいうものにすぎず、採用することができない。

同第三点、第四点について

本件記録によれば、原審の審理上の措置に所論の違法があるとは認められず、右違法があることを前提とする所論憲法違反の主張は、失当である。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島谷六郎 裁判官 牧圭次 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之)

上告理由

第一、はじめに

――思想・信条の自由を守るために――

一、本件の争点は、被上告人斉藤忠司が上告人渡辺令子に対し、昭和四九年二月一五日被上告人東京電力塩山営業所の応接室において、「あなたは共産党員ですか」と尋ねたこと、渡辺がそうではないと答えたのに対し、「それでは、共産党員でないことを書いて出しなさい」と執拗にせまったことが、憲法一九条の保障する思想信条の自由の侵害として、民法七〇九条に該当する不法行為といえるか否かである。一審甲府地裁判決(昭和五六年七月一三日言渡)は、政党の所属をきくことは、政党が思想信条と不即不離の関係にあることから、思想信条の表明を求めたものと解することができるが、私人相互間には直接憲法一九条は適用されないとしつつ、しかし、思想信条の自由は人間の尊厳を保持するために不可欠のものとの認識に立ち、民法一条の二、労基法三条を根拠に、雇用関係成立後の労使間において、労働者の思想信条を尊重すべきとの理念は、公序として形成されており、重要な保護法益であり、これを侵害した被上告人らの行為は不法行為として損害賠償義務を負うとした。二審東京高裁判決(昭和五九年一月二〇日言渡、以下原判決という)は、被上告人斉藤の行為は、上告人渡辺の意思決定の自由を抑圧したとはいえないから不法行為は成立しないとした。原判決は、思想信条の自由を故意に、否定したか、或いはその社会的重要性の認識を欠いたものといえる。思想信条の自由が人間の尊厳を保持するため不可欠のものであって(憲法一九条)、人類進歩の公理である(J・B・ビュアリ著、森島恒雄訳、思想の自由の歴史)ことはいうまでもないことである。

思想信条の自由が問題にされた、本件類似の事件として、いわゆる三菱樹脂高野事件(最高大判昭和四八・一二・一二)、富士重工事件(最三小判昭和五二・一二・一三)等があるが、本件は、思想信条の自由自体に対する直接の侵害からの救済が問題とされている点で、例がなく、最高裁判所において初めて審理され判断されるものである。先駆的かつ重要な意義を有する本件の内容からしても、一審の審理と判決からしても、原審判決とその審理は誠に低劣かつ、言語道断なものといわざるを得ない。

最高裁判所においては、本件の重要性と共に、原審の偏見と虚構にみちた審理と判決にも充分批判の眼をむけ、慎重にしてかつ憲法の立場に立った審理と判断を心から要請するものである。

二、ところで思想信条の自由は、侵害と弾圧の歴史の中で、人民の闘いによってからとられてきたものである。被上告人会社や同斉藤が、上告人に対し行った本件のような思想表明、思想信条に対する直接的侵害は、現在もなお、多くの企業の壁の中で、陰に陽に繰り返されている。被上告人東京電力は、日頃から共産党員ないしその同調者を会社にとって好ましくないもの、或いは企業破壊者と位置づけ、その動態を把握し、賃金、昇格を差別し、解雇その他不当な差別、迫害を日常的労務管理(反共労務政策とその実行)として行っている。本件は、それらの行為の一環としておこった氷山の一角のような事件である。このような本件事件の背景を理解することなしには、本件事実の正しい認定はできない。原判決はこの点でも重大な誤りを侵している。

三、原判決は、証拠に基づかない事実認定を行っている。一審判決は、証拠を詳細且つ全体的に把え、国民をして納得させ得る事実認定を行っているのに反し、原判決は、証拠に基づかない事実認定を行うなど、採証方則違反、自由心証義務違反をおかし、明白な事実誤認をしている。この点で、原判決は、社会的にも、説得力のない、内容的に低劣なものである。事実を事実として、歪曲せずに正しく見る目、社会的背景との関連で、勿論証拠に基づいて事実を見る目、反対思想、少数者の思想の自由(沈黙の自由を含めて)を人間の尊厳に不可欠と考えること(憲法一九条の法の趣旨の正確な理解)をすべて無視した判決が原判決である。裁判は憲法と法律に基いて行われなければならないものである。「人権の砦」として国民の期待を担う最高裁判所において、右原判決を一日も早く破棄されることを希むものである。

四、上告人の上告理由の骨子はつぎのとおりである。

1 憲法一九条(思想信条の自由)の解釈適用の誤り

2 市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権規約B)第一八条違反

3 思想信条の自由の侵害と不法行違の成立につき法令解釈と適用の誤り

4 判決に影響を及ぼす明らかな法令違反(自由心証主義違反、経験則違反等)

5 憲法七六条(裁判官の独立)違反

6 憲法三二条(裁判を受ける権利)違反

以上は民事訴訟法第三九四条同法第三九五条一項二号、六号に規定される上告理由に該当するものである。

以下詳論する。

第二、原判決の総括的批判(一審判決との対比を中心として)

一、はじめに

原判決は、一審判決と対比してみれば、その低劣さは明白である。原判決は虚構と偏見の所産であるが、一審判決は、大独占資本である東京電力(株)の職場の実態を真摯にとらえることにより、本件事件の性格、思想表明の自由に対する侵害の実態を事実に基き、正しく認定したものである。以下、一審判決との対比において、原判決の虚構と偏見を具体的に指摘、検討批判していくことにする。

二、一審判決の概要と意義

1 一審判決の概要

(一) 一審判決は、本件話合い(昭和四九年二月一五日の東京電力塩山営業所応接室での)について、斉藤所長と仕事上接触のない一係員の間で行われた事実を認定した上で、上告人渡辺令子が、右話し合いの中で比較的冷静な対応をしていたが、屈辱感から、一時は仕事が手につかないほど精神的衝撃を受けたこと、義弟武井、日頃から信頼していた中村牧師に、事件直後、右話し合いの内容を述べたことが、その後の一審における渡辺供述と一致していること、東電労組塩山分会近藤委員長への申し入れ、寺島弁護士と同行しての抗議申入れ、その際に、被上告人所長斉藤忠司に党員か否かを聞いたか、そうでないことを書いて出せといったか否かを確め、斉藤忠司は、書けとはいわなかったが書いたらどうかといったこと、斉藤忠司は、共産党員又はその同調者は会社と相容れずその者達が、昭和四八年一二月二八日の「赤旗」に記事を提供していたと考えていたこと、しかし、本件話し合いの中では、記事のことはまったく言及されていないこと、斉藤忠司は、共産党員かどうか聞くことの重大性を認識していなかったこと等を理由として、斉藤忠司の供述は不自然で、措信できないとし、渡辺供述は、稀有な体験と精神的衝撃、当日武井や中村牧師に話したことと一審供述が一貫していることから大筋において信用に値するとした。更に、控訴審で、東京電力、斉藤忠司が強く主張したいわゆる「わなの理論」即ち、渡辺令子らに、かくされた意図があったとする主張は、そのようなことを推認する事実がないとして明確に否定している。

(二) 一審判決は、本件話し合いの内容について、次のように認定した。斉藤忠司は、健康状態や近況に触れた後、渡辺に対し、共産党員かどうか尋ねた。渡辺は、返答をしぶったが、そうではないと答えた。斉藤は、そのことを書いて出すよう求め、たやすく応じないので、文書による表明をさせるため、会社から共産党員と思われている義弟武井のことをもちだし、会社が迷惑をうけている趣旨の発言をしたり、渡辺が今後停年まで会社に勤めるには、損になる等、執拗に説得し、ついには、渡辺から、どう思われてもかまわないと反発されるに及んだ。本件話し合いは、右のような内容であったが、このような事実は、東京電力が、日頃共産党員もしくはその同調者に対しとってきた対応と当時の塩山営業所の職場状況等からも十分首肯できるものと認定している。

(三) 次に、一審判決は、本件話し合いの経緯と趣旨、目的として次のように認定している。

東京電力は電力の八割を火力発電に依存しているが昭和四八年暮れのいわゆる石油危機により深刻な事態に直面し、節電運動、経営合理化、省資源化の施策を強力に進めたが、日本共産党は、東京電力が石油危機に便乗して電力料金の値上げを狙い、社内外に対する施策により、世論の批判をかわそうとしているとして、批判宣伝活動を行っていた。昭和四八年一二月二八日付「赤旗」(乙四号証)、山梨県委員会発行のビラ(乙五号証)がそのようなものであった。

ところで、東京電力(被上告人会社)は、終戦直後における当時のいわゆる電産労組による激しい労働攻勢やその後の東電労組各支部、なかんずく昭和三四年以降山梨支部で活発に行われた職場闘争等に直面するなかで、これらの活動は日本共産党による企業破壊活動の一環であるとの認識に立脚し、以来、職場内の共産党員もしくはその同調者を企業にとり好ましからざるものとして労務管理上その動勢を把握し、これに対する種々の対策を講ずるなどして一般従業員にもそれとわかるよう厳しく対応してきた。このような状況下において、被上告人斉藤忠司は、昭和四五年六月八日塩山営業所長として転勤してきた。右営業所内では、昭和四一年ころから、当時二階で勤務していた上告人渡辺と一階で勤務していた名取の両名について、同人らが共産党員もしくはその同調者であることを意味して「上の渡辺、下の名取」との噂が半ば公然とささやかれていたことから、斉藤は、職制会議で、右両名については、書類の管理に万全を期し、取扱いに注意するよう指示していた。被上告人斉藤は、このような中で、前記日本共産党による一連の批判宣伝活動に接し、これらの活動は、被上告人会社(東京電力)が内外の危機的状況にある時期をねらい、会社に対する中小零細業者ないし一般需要家の批判と反感を醸成し、更には、会社従業員の不平不満を煽り会社への離反を画するものと受けとめ、前記「赤旗」(一二月二八日付乙四号証)記事をみて、会社の機密にかかる内部的取扱事項を、前記職場のうわさの「上の渡辺、下の名取」が、外部にもらしたのではないかと疑いをもち、昭和四九年一月二五日名取に記事内容をきいたが、否定された。斉藤忠司は、山梨支店次長から、渡辺の義弟武井のことをきき、右記事内容に関連した調査を目的として、二月一五日渡辺を応接室に呼んだ。しかし、渡辺は集金整理の担当で、前記「赤旗」記事内容に関連する節電運動に関与していないし、そのような立場にもおらず、斉藤も、本件話し合いの中で、記事については、まったく言及していないし、右記事に対する何らの対策もとられていなかった。従って、赤旗記事の出所をめぐって、職場内が疑心暗鬼の状態になったとする会社の主張は認め難いし、全くの憶測に過ぎず、職場内の状況に関する斉藤供述も信用できないと認定した。

(四) 本件話し合いの趣旨目的

一審判決は、本件背景に、共産党員もしくはその同調者への会社の厳しい対応があるものの、直接的な本件話し合いの趣旨目的は、社内事項の漏洩の疑いの調査にあるとし、上告人(原告)主張の転向強要については、そのような趣旨があったといえるかにつき疑念が全くないわけではないが、認められないとした。勿論、渡辺の服務態度等には別段問題はなかったとした。

(五) 本件行為の違法性について

一審判決は、共産党員かどうか尋ね、あるいは共産党員でないことにつき文書をもって表明を求めることは、直接には思想・信条そのものの開示を求めるものとはいえないが、政党が特定の思想信条を基盤としてその政治的な理念を実現するために結成された団体であることに鑑みると、政党と思想・信条とは不即不離の関係にあって、特定の政党に所属するかどうかは、当該政党の基盤とする思想・信条に同調するかどうかを意味するものといえるから、結局、斉藤の本件行為は渡辺の思想信条の表明を求めたものと解してなんら妨げないとした。しかし、思想・信条の不可侵性を規定する憲法一九条は、国もしくは公共団体と個人との関係を規律する規定であって、私人相互の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないと解されるとした。その上で一審判決は、思想信条の自由に対する保障は人間の尊厳を保持するために不可欠であって、人間存在の根源にかかわる重要なものであるから、民法一条の二、労基法三条の趣旨とあわせ考えると、雇用関係成立後の労使間においては、労働者の思想信条は、それ自体において憲法一九条に即して尊重さるべきものであり、その理念は、労基法三条、民法一条の二を通じて雇用成立後の労使関係を律する公序として形成、確立されている。従って、思想信条の自由は重要な保護法益であるとした。

次に、企業の権利、利益との関係で労働者の思想信条の自由の制限が許容されることがあるとしても、その制限は、合理的理由(社会的相当性)に基づき、かつ、その手段、方法において適切である場合に限定され、そうでない場合は、違法である、と判断した。ところで、本件においては、被上告人らは、本件話合いは、企業の自由に対する侵害行為から職場の規律を回復維持するとの業務上の必要性に基づきなされたもので、社内秘密漏洩の客観的な嫌疑により調査したとの合理的理由を主張するが、上告人渡辺が、社内事項を「赤旗」に漏らしたと疑わしめるに足る資料は皆無であり、これを疑わしめるに足る相当な根拠もないのに、ただ単に共産党員もしくはその同調者であるとの噂に依拠して、漏洩の疑いを掛け、しかも業務運営上の具体的支障等のさしせまった必要性に基づかずに本件話し合いを行ったものであり、調査自体違法である。

漏洩記事の出所を質すために原告の思想・信条を問わなければならない必要性、関連性は少しもないし、共産党員でないことを文書で表明を求める理由がないことは明白であるとし、手段、方法についても、被上告人東京電力の共産党員もしくはその同調者に対する厳しい日頃の対応を除外して理解することができないとして、被上告人斉藤が上告人渡辺に求めた共産党員かどうかの申告及び共産党員でないことの文書での表明には、その手段、方法において多分に強制の契機を宿し、これが渡辺の自由意志に大きく作用したとみるのが相当である旨認定した。

(六) そして、一審判決は、被上告人斉藤の責任を民法七〇九条、被上告人会社の責任を民法七一五条に該るとして、精神的多大な苦痛に対し慰藉料を支払うべき旨判決をしたものである。

2 一審判決の意義と評価

(一) 前記(一)、一審判決の概要に明らかなごとく、一審判決の特徴は、本件事実(話し合いの内容)を被上告人会社の職場状況や、日頃の共産党員もしくはその同調者に対する厳しい対応という背景事実の中で、正確に把えて事実認定していることである。これは、事実の認定にかかせない必要な態度である。本件話し合いの経過についても、斉藤忠司及び渡辺令子の業務上の地位関係も含め、双方の供述を細かく分析し、供述の自然さ、一貫性から、渡辺供述を信用し、斉藤供述を信用できないとしている。上司と一係員という関係に、前述の労務管理上の対応関係を総合して事実認定を行う態度は当然のことではあるが、雇用関係継続下での本件話合いの事実を認識する上で欠かすことができない視点である。

本件の正しい判断は、本件話し合いの内容、経過、目的を事実に則して、認識する中からでてくる。その意味でも、一審判決は、正確な事実認定を行っているものである。共産党員かどうか聞いたこと、そうでないことを文書にして表明を求める行為があったこと、文書表明をさせるため、義弟武井の問題を出したり、書かねば損になるなどして、執拗な説得をくり返したことを認定している。

(二) 次に、一審判決は、右事実認定の背景として、東京電力が石油危機を奇貨として節電運動、経営合理化を行い、電力料金値上げなどを策して、世論を気にして、社内外に諸施策を行い、これに批判的であった「赤旗」記事などに異常な注意を払い、日頃の共産党員もしくはその同調者達に対する会社の厳しい対応(好ましくないものとして労務管理上把握し、処分その他厳しい対応をすること)、そして、「赤旗」記事への社内事項の漏洩を調査した事実などとの関連で本件をとらえている。

(三) 一審判決は、右のように背景を正しく把握しながら、本件話し合いの趣旨・目的については、社内事項の漏洩の疑いに基づく調査としている。もっとも、転向強要の目的を完全に否定しているものでもない。赤旗記事の内容の正しさについては、一審判決に触れていないが、上告人は、その内容が、会社を中傷、誹謗にあたるものでないことを、一審における上告人渡辺の最終準備書面(昭和五六年三月一一日付)六八頁乃至七七頁、乙四乃至七号証についての中で明確に延べている。一審判決の本件話し合いの目的については、上告人の主張と異なる認定であったが、一審判決も、本件話し合いの中には、「赤旗」記事問題は一言もでなかったこと、一二月二八日付「赤旗」記事に対し、会社が何らの対策もとらなかったこと、「赤旗」記事の出所問題を調べるため、上告人渡辺が共産党員もしくはその同調者であるようだという職場の噂を根拠に行うのは、合理的理由がないというべきである旨認定している。従って、本件話し合いの事実そのものの認識に誤りがあるわけではない。

(四) 一審判決の最も大きな意義特徴は、思想信条の自由を人間存在の根源にかかわる重要なものと認めた点にある。その点、被上告人斉藤に、思想信条の表明をさせることの重大さの認識が欠けていた旨認定する一審判決は、斉藤の供述の細かな点まで分析しているといえる。一審判決は、共産党員か否かをきくことは、政党が特定の思想信条と不即不離の関係にあることから、思想表明を求めたものとして、人間の尊厳に関わると認定しつつ、憲法一九条の直接適用説を排し、民法一条の二、労基法三条の法理から、雇用関係成立後において思想信条の自由が憲法一九条に即して尊重さるべき公序が確立されているとして、思想表明の自由を保護法益の対象と認定した。一審判決の意義はここにある。一審判決は、企業の自由との関係で、労働者の思想・信条の自由の保障は、雇用関係成立後は、公序として憲法一九条に則して存在することを高らかに唱い上げている。本件被上告人会社でも、その他大企業といわれるところで、共産党員もしくは同調者に対して行われる、その思想故の、合理的理由のない差別や、根拠のない企業破壊者というレツテル貼り、攻げきに対し、労働者は労働力を売っても、思想までも売っていないという、人間の尊厳としての思想の自由が、雇用関係成立後、法的保護の対象として保障されていることを認めた正しい判決であった。

(五) 一審判決は、更に、企業の自由と思想の自由との調整として、思想の自由の制限は、合理的理由の存在を必要とし、且つ手段方法の適切なものに限られるとしているが、それも、重要な意義といえる。

これらの一審判決の判断の根底に、被上告人東京電力が、共産党員もしくはその同調者に対する労務管理上の調査、把握、処分を含めた差別などの厳しい対応の事実が存在していることをみのがしてはならない。上告人が一審において、会社の「反共」労務政策の特徴と結果について、主張立証してきた重要な事実が、一審判決において、正しく認識されたものといえる。

以上、一審判決のやや詳しい概要と意義、特徴を述べてきたが、これら特質を有する一審判決と具体的に比較しつつ、以下、原判決(二審、中川判決)の批判を行うものである。

三、原判決批判(一審判決との対比において)

1 虚構と偏見に基づく原判決

前述の一審判決と原判決を対比して、一見明白なことは、原判決が一審判決に対する批判を具体的論証又は証拠によって行っていないことである。原判決は、一審判決を証拠と論理により批判することができない為、証拠に基かない、又は、自己に都合のよい証拠のつまみ食い的な取捨と、独断と偏見による事実の組み立てにより、虚構の事実を認定した杜撰なそして低劣な判決である。証拠の取捨選択を独断と偏見でおこなうという、まさに採証法則違反をおかし、更に、自由心証主義の重大な逸脱をしている。一審判決が、事実認定につき、被上告人会社の共産党員もしくは、その同調者への日頃の労務管理上の監視、差別、処分等のきびしい対応という背景をも考慮にいれて、本件話し合いの経過を証拠と道理に基いて行ったのと比べると、原判決の誤りは明白である。更に原判決は、思想信条の自由を根底においては認めていないものである。仮に思想の自由を認めていると考えても、反対思想の自由、沈黙の自由を含まない、いわゆる体制内の自由の範囲でしか思想の自由を理解していないものと思われる。その意味では、原判決は、憲法一九条に違反するものである。一審判決は、いわゆる直接適用説ではないが、民法一条の二、労基法三条等から、雇用関係成立後の労使間に確立した公序として、労働者の思想の自由を重大な保護法益としているのに反し、原判決は、思想の自由を軽視し、人間の尊厳として考慮をしない、低劣にして人権無視の論理により成り立っている。その点、原判決は、まったく、一審判決に対する批判すら回避してしまって、独自の狭量にして、偏見にもとづく誤った論理の展開をしている。以上、原判決は、憲法一九条の解釈を誤り、憲法に違反し、民法一条の二や労基法三条という、まさに判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背をしているものといえる。そこで、原判決の内容に立ち入って、詳しく、検討批判を行うことにする。

2 原判決は手続的にも無効な判決である。

中川裁判長は、控訴審開始以来、一貫して労働者敵視、憲法無視の訴訟指揮を行った。控訴人側(東京電力及び斉藤忠司)主張は、本件話し合いを、渡辺側がしくんだものとして、斉藤忠司をわなにはめる為のものだったという、まさに荒唐無稽のいわゆる「わな論」であったが、中川裁判長は、その主張の陳述をさせながら、渡辺側の反論の主張については制限を加え、反証については、全く認めなかった。本人尋問については、一たん認めながら、直ちに取消すという、朝令暮改もはなはだしい訴訟指揮を行い、渡辺側からの「忌避」申立てを、高等弁論終結と一瞬早く言ったから、認められないとしたり、その後、判決期日を指定する為再開を宣したが、直後に再び「忌避」申立てがあったため、右再開宣告をなかったものとして、調書の記載すら行わないという裁判といえない現象をつくりだした。そもそも、終結の日、昭和五八年一二月五日は、東京高裁、地裁の庁舎移転の最中であり、本件のみ、引越しで、ガランとした、殺ばつたる中で、裁判が強行されたものである。ちなみに、すべての事件は、右期間には法廷を開いていない。「忌避」については、一二月二〇日却下となり、直ちに特別抗告を行った。特別抗告係属中の昭和五九年一月二〇月原判決が言渡された。法律により判決に関与することができない中川裁判官が判決に関与したのであるから、民訴法三九五条二号違反といえる。

3 思想の自由を否定する原判決は違憲違法である。

原判決は、憲法一九条に保障された思想信条の自由を否定している。そもそも原判決は、共産主義思想に敵意をいだいているようである。その点は、共産党員ないしその同調者を企業破壊者ときめつけ、企業から排除しようとしている被上告人会社の考え(反共労務政策)、行動(日頃の会社の厳しい対応)と一致している。

しかし、右考えは誤りである。憲法一九条の思想信条の自由の保障は、自分の気に入らない思想を守ることに意義があるのである。反対思想、少数者の思想の自由を守ることが憲法の法意である。もちろん、その中には、沈黙の自由が含まれることもいうまでもない。

原判決は、次のようにいう。「思うに、日本共産党は天下の公党である。かつての非合法時代のいわゆる地下組織ならともかく、当世共産党員ないし同調者たるほどの者は矜持をもって公然と活動する風尚であるにもかかわらず、なお共産党員ないし同調者であることの公開を憚る向があること(公知の事実である。)」と。そもそも公然と活動することと思想の表明を行うことは異るものである。治安維持法下の共産党員ないし同調者への弾圧は歴史的事実である。自由主義者や宗教家も弾圧されたのである。「反共」はファシズムや戦争の前夜といわれるゆえんである。戦後も、レッドパージ、その他、共産党員ないし同調者の故をもって行われる、労働者の配転、解雇、賃金・昇格差別、人権侵害は数知れずあり、現在、全国各地で、訴訟になっている。本件においても、斉藤所長は、共産党員ないし同調者とみられていることは損ですよといって文書表明をせまっているのである。このような社会的事実、本件での具体的証拠にあらわれた事実を原判決は意識的に無視したものである。「公知の事実」とは何ごとか。自らの偏見と独断を、社会的事実を無視することによって、「公知の事実」として、認知させようとしたみにくい姑息な論理である。そして、更に、原判決は、本件質問(共産党員かどうか聞くこと)ないし、本件書面公付要求(そうでないことを書いて出せという要求)のような事項につき事情聴取をしようとするかぎり、所長が勤務時間中応接室に一係員をよび、余人を避けて事情聴取を行うという、いわば配役と道具立てをもって臨むことは、むしろ時宜を得た措置といわなければならないと判断している。まさに、思想表明の自由の中には、反対思想、少数者の思想の自由は含まれず、沈黙の自由もないといっているのである。これは、憲法一九条の解釈の誤りであると同時に、右条項違反である。更に、重大なことは、思想の自由の重大さを原判決が否定していることである。それも、文書として明言していないが、右判示に表れているように、企業の自由と思想の自由の関係において、企業の自由が優先するという考え方である。前記のような配役と道具立てで行うことがそもそも思想の自由を侵害する手段、方法になり、思想の自由を制限する合理的根拠をなくしているのである。一審判決は、そのように述べている。同一事実を見ながら、思想の自由を人間の尊厳として尊重するか否かのちがいが、結論におけるちがいとして現出するのである。このような原判決と一審判決の理念のちがいと同時に、背景事実又は社会的事実を事実として認識するか、故意に無視するかのちがいでもある。勿論、背景事実も証拠により裏付けられたものである。一審判決は、共産党員ないしその同調者に対する会社(東京電力)の日頃のきびしい対応(労務管理上、会社にとって好ましくないものとしてその動向を把握し、対策をたてる――いわゆる反共労務政策とその実行)をぬきにして、本件事実の認定及び、違法性の判断をすることができないとして、労基法三条、民法一条の二の法意から雇用関係成立後の労働者の思想の自由は、企業の自由によって合理的理由且つ適切な手段方法で制限されないかぎり、保障されなければならないとした。そして、本件には、制限の合理的根拠もなく、手段方法も強制にわたるもので違法であり許されないとしたのである。原判決は、社会的事実や、証拠に表れた事実を無視している。「公知の事実」という表現で、証拠に表れた事実や社会的事実を無視することはできない。その意味で、原判決は証拠裁判主義を逸脱ないし放棄したものであり、民事訴訟法の原則に違反している。従って、原判決は民訴法三九四条に該当するものである。そして、裁判官は憲法、法律のみに拘束されるとする憲法七六条三項にも違背している。勿論、原判決は、民法一条の二の解釈基準や労基法三条の法理に違背しており、そのことが判決に影響を及ぼすことは明白であるから、原判決は破棄をまぬがれないものである。

4 不法行為の要件について

原判決が、思想の自由を否定し、人間の尊厳としての重大さを無視したことは、前述のとおりである。従って、原判決は、本件質問行為、本件書面交付要求は、時宜を得たものとして、有効適切に行えるという、とんでもない誤りの論理に立っていることは前述した。

ところで、原判決も、さすがに、書面交付要求まで、企業の自由として、制約なしに自由にできるとするには、気おくれがしたか、又は、心苦しさをおぼえたのか、恐怖心を生ぜしめるに足りる害悪を加える旨を通告し又は不法に有形力を用いて本件質問及び本件書面交付要求をすれば違法であるとし、結局右要件がないので不法行為に該らないとした。そして、右要件がないから、渡辺は自己の意思決定の自由を完うしたというのである。この論理は、まず事実からしておかしい。一審判決は証拠により、渡辺が、本件話し合いの直後、屈辱感から一時は仕事が手につかないほど精神的衝撃を受けたこと、直ちに、義弟武井、中村牧師に事実をのべ相談していることなどの事実、斉藤所長は、執拗に、書かねば損になるということをいいながら、文書交付をせまった事実等を認定している。これらの事実を原判決は何の証拠もなしに、無視してしまった。原判決の不法行為の要件自体、不当なものだが、右事実からすれば、原判決の要件をも充足する事実があったのであり、本件質問及び書面交付要求は、まさに強要されたことは明白であり、渡辺の意思決定の自由にも大いに侵害をなしたものである。さて、そのような事実無視もさることながら、思想表明強制事件について、原判決のように狭い要件に限定することは誤りである。原判決は、前述したとおり、思想表明の自由を否定し、一審判決がいう雇用関係成立後の労使間に生ずる思想表明の自由の保護法益性をも否定したため、不法行為の要件を暴行、脅迫、監禁等刑事犯罪の要件として、設定したものであり、その誤りは明白である。思想表明事件に限らず、右のような要件があれば、事実上の不法行為を構成するのみならず、刑事犯罪を構成することになるのである。次に思想表明の自由と意思決定の自由とは異る範疇の問題である。本件を単に意思決定の自由としてだけとらえる原判決の見解は誤りである。渡辺令子の意思決定の自由のみを問題にすると、本件を非常に狭い限定された事実からのみ認識することになる。従って、原判決のいうように、不法行為の要件も、右意思決定の自由を制限する直接的形態、暴行、脅迫の要件に限られることになってしまう。本件は、思想表明をせまる側の問題を解明しなければならない事案である。思想表明事件は、その思想表明をせまられた者の内心の意思決定の自由だけを問題にしていたのでは、正しい解明がされ得ない。思想表明をせまる側の動機や背景事実、そして、必要性や合理性があったか否かが重要なメルクマールである。もちろん、同時に、手段、方法の適切さが問題となる。原判決には、手段方法のみを問題にし、それも刑事犯的狭さで解釈しようとした誤りがある。思想表明の自由は、反対思想の自由の保障であり、沈黙の自由を含むものであるから、それを問うことの社会的相当性、合理的理由を必要とし、且つ、その手段方法も適切なものでなければならないとする一審判決は正しい。原判決は、一審判決の見解に何ら批判や検討を加えず、独自の判断(誤りの判断)を行ったものであり、一審判決と比較して、その誤りは明白であり、独断と偏見にもとづく、低劣な内容といわざるを得ない。

5 原判決の事実認定の誤りにいて

原判決の事実認定は証拠に基かない違法なものである。証拠の客観的な評価をせず、自己に都合のよい部分(一貫性、合理性などを無視して)のみをとり上げ、まったく事実と異なる事実を捏造している。一審判決ときわだった本件事件の事実認定のちがいを見せている。原判決はいう、「本件話合いにおいて、(控訴人)斉藤と(被控訴人)渡辺との遣取ないし応酬は、本件質問及び本件書面交付の要求を軸として互角に経過していたが、終盤に及んで、渡辺が斉藤を凌駕し、本件書面交付を頻りに求めてやまない斉藤の目論見を挫折させて本件話合いを思い通りに終熄させた。斉藤は本件質問及び本件書面交付の要求行為によって渡辺に恐怖心を生ぜしめるにいたらなかった。渡辺は本件話合いを通して自己の意思決定の自由を完うした。」と。斉藤、渡辺については、一審で、いろいろな角度から尋問がなされている。右両者の供述は全体の流れの中で正確に理解されなければならない。原判決は、本件話合いの中の事実で、東京電力や斉藤に都合のよい部分的供述の片言隻句をとりあげて、加害者と被害者を逆転させたのである。共産党員ないしその同調者に対する会社の日頃の厳しい対応を背景事実として把えれば、右原判決の事実認定の誤りは明白である。右背景事実を考慮にいれなくても、右約一時間にわたった話し合いを、場所的、時間的、そして、動機の面から検討すれば、原判決の事実認定の誤りはまた明らかである。原判決は、書面交付要求を「渡辺はいよいよ噂のとおり共産党員であるという風に皆に『そう思われてもいいの』と言ってやんわりと再考を促す場面も一再ならずあった」等と認定しているが、言い方がやさしく云ったか、脅迫的にいったかは、あまり問題でない。やさしい言い方であろうと、右のような発言を、勤務時間中、応接室で、職場の最高上司が、一係員に対して行うことは、強制なのである。まして、会社は、共産党員ないし同調者を企業にとって好ましくないものとして、陰に陽に、差別したり、職場から排除したりしようとしており、斉藤がいうように、会社は自民党、組合は民社党であり、渡辺は、共産党員ないしその同調者と見られているから、損になるといっているのであるから、斉藤所長が、どのようなやさしい言い方をしようと、その発言内容は、強制の契機を充分に宿しているのである。一審判決は、右事実を正しく認識し判断しているのである。原判決は、このように事実認定においても重大な事実誤認をしているのである。

6 本件行為の動機について

原判決は、本件行為の動機について、「赤旗」記事の出所調査としている。渡辺は、一審以来、転向強要の目的と主張している。一審判決は、転向強要につき疑問を提しつつ、直接的動機は「赤旗」記事の出所問題とした。しかし、本件話し合いの中に右記事問題は出ず、職場内で、記事に関して話題になるようなこともなく、会社によって、何ら対策もとられなかったことを認定し、記事の出所問題は、単に斉藤がそう供述したことのみで、認定したものであった。ところで、原判決は、全く証拠に基づかない事実を認定し、動機の認定の基礎とした。原判決は、「赤旗」記事が営業所内に物議をかもした、営業所の中で、かねてから共産党員ないし同調者として目され「二階の渡辺、一階の名取」と噂の高かった両名を措いて他に取材源となる者はいないと看て取り、その嫌疑に基づいて、……と認定したが、この認定は全く証拠に基づかないもので、事実の捏造である。一審判決でも明らかであるが、「赤旗」(乙四号証)の記事が職場に物議をかもしたなどの事実は全くなく、職場の単なる、共産党員ないし同調者であるとのうわさである、「二階の渡辺、一階の名取」と、具体的「赤旗」の記事を結びつける証拠は、どこにもないし、社会的常識から考えても、そんなことはわかろうというものである。職場のほぼ全員が「赤旗」を読んでいないだろうし、会社にとっては、「赤旗」の読者になることを好まないことはいうまでもないことであろうし、記事中に一言でてくる「E営業所」なる文言で、職場に物議がかもし出されることなど本件証拠の中からも現になかったことだが、社会的常識で考えても、あり得ないものである。一審判決は、話合いの中で、記事問題が全く出ず、会社も記事問題でなんの対策もとらず、まして、右記事中の節電運動に関しては、渡辺は、業務上関係のないところにおり、知り得る地位にもいなかったことを認定してる。証拠に基づかない、独断、偏見の原判決の事実認定がここにも端的に表われているのである。

7 結論

以上、原判決の誤りを、具体的に、各方面から検討し、一審判決との対比で、批判してきた。前記一で指摘したように、一言で、原判決を批判すれば、虚構と偏見による誤れる判決ということができる。原判決の根底には、労働者敵視の思想、特に共産党員ないしその同調者に対する敵視の思想があり、それは、東京電力や斉藤所長と共通するものであり、そのためには、企業の自由をすべてに優先させ、思想の自由を否定してしまうという前近代的な判決である。企業の自由をすべてに優先させるため、事実認定も、証拠に基づかない、まさに、採証法則も、自由心証主義も逸脱し、明らかな事実誤認を平然と行って恥じない厚顔な態度の判決である。判決にあらわれた右のような態度は、控訴審の審理を通じて、貫かれていた。原判決は、もはや、裁判の名に値しないものであり、裁判の権威を失墜させるものである。最高裁判所は、原判決を直ちに破棄して正しい判断を行うことによって、裁判の権威の確立をはかられたいと強く望むものである。〈以下略〉

〈参考――上告理由「目次」〉

第一、はじめに

第二、原判決の総括的批判(一審判決との対比を中心として)

一、はじめに

二、一審判決の概要と意義

1 一審判決の概要

2 一審判決の意義と評価

三、原判決批判

1 虚構と偏見に基づく原判決

2 原判決は手続的に無効な判決である

3 思想の自由を否定する原判決は違憲、違法である

4 不法行為の要件について

5 原判決の事実認定の誤りについて

6 本件行為の動機について

7 結論

第三、原判決の虚構と偏見の根源

一、はじめに

二、不法な「有形力を行使する」中川裁判長

三、ヒステリックで、傲慢で独断的な中川裁判長

四、不意打ちが得意な中川裁判長

五、憲法及び労働者敵視の中川裁判長

六、中川裁判長は裁判官として不適格である

第四、控訴審の手続における違憲性

一、憲法第三二条違反

二、第一回口頭弁論における訴訟指揮の違法性

三、第二回口頭弁論における訴訟指揮の違法性

四、第四回口頭弁論における訴訟手続の違法性

五、中川幹郎の本質

六、第五回口頭弁論の異常さ

七、結論

第五、憲法第一九条違反

一、原判決の論旨

二、その誤り

三、企業における労働者の思想の自由と干渉の違法性

四、沈黙の自由

五、宣明文書提出強制の違憲、違法性

六、協力義務の範囲、限度と調査の合理性

第六、市民的及び政治的権利に関する国際規約第一八条違反

一、思想・良心の自由の根源的重要性

二、国際人権規約

三、アメリカにおける思想の自由

四、人権規定の私人間効力

五、まとめ

第七、思想信条の自由の侵害と不法行為の成立について

一、民法第七〇九条の解釈の誤りと審理不尽の違法

1 原判決の「強要」概念とその誤り

2 「強要罪」概念の使用の誤り

3 不法行為の要件に関する一審判決の解釈の正当性

4 民法第七〇九条における違法性の正しい解釈について

二、被上告人斉藤の上告人に対する思想表明強要は、民法七〇九条の要件を充足する

1 はじめに

2 憲法第一九条の意味するもの

3 民法第七〇九条の正しい解釈

4 本件侵害行為

5 原判決の誤り

6 結論

第八、被上告人会社の一貫した反共差別労務政策の存在についての審理不尽

一、被上告人斉藤の行為の本質とその背景

二、被上告人会社の反共労務政策の基本的特徴

三、反共労務政策のねらいとその結果

四、反共労務政策と本件不法行為

五、結論

第九、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違反について(事実認定を中心にして)

一、憲法第七六条違反

1 裁判官の良心

2 原審裁判官の「良心」の内容

3 主観的「良心」に基く事実認定

二、法令違反――自由心証主義違反

1 理由不備

2 証拠の取捨判断の恣意性

3 経験則違反

三、結論

第一〇、結論

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